[増補]決定版 日本史 渡部昇一 (扶桑社文庫 2014年10月20日 初版第4刷) p.76~ 平安時代には非常に平和な時代が四百年あまりも続いた。 (中略) しかし、この平和な時代は突如として崩れてしまった。それはどうしてかと言えば、まさに平和な時代の特徴であったルーズな男女関係が皇室にはびこったことによる。そ、そーなんですか?!
[増補]決定版 日本史 渡部昇一 (扶桑社文庫 2014年10月20日 初版第4刷) p.76~ 鳥羽天皇から見ると、崇徳天皇は自分の后の子だから形式上は自分の子であるが、実の父親は祖父の白河院なのだから、実際は自分の叔父にあたる。それがわかっているから、鳥羽天皇は崇徳天皇を「わが子にして祖父の息子」という意味で「叔父児」と呼び、忌み嫌っていた。(同上)p.78に系譜図があるが、興味のないわしの頭にはさっぱり入らない。
[増補]決定版 日本史 渡部昇一 (扶桑社文庫 2014年10月20日 初版第4刷) p.80~ その地で崇徳帝は反省と戦死者の供養と都を懐かしむ思いを込めて、自らの地で経典を写し、今日の寺に納めてほしいと朝廷に送るが、受け取ってもらえずに送り返されてきた。激怒した崇徳帝は自分の舌を噛み切って、その血で送り返されてきた写本に「この経を魔道に回向す」「われ日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」と書きつけた。崇徳帝について、わしが持っている貧弱な知識で思いつくのは、上田秋成『雨月物語』巻之一「白峯」ぐらいですかね。
日本古典文学大系56「上田秋成集」 中村幸彦校注 (昭和49年6月25日 第15刷 岩波書店) p.39~ 新院呵々と笑はせ給ひ、「汝知らず、近來の世の乱は朕なす事なり。生てありし日より魔道にこゝろざしをかたふけて、平治の乱を發さしめ、死て猶朝家に祟をなす。見よ見よやがて天が下に大乱を生ぜしめん」といふ。引用の正確さは期待しないでください。古文の繰り返し記号(ひらがなの「く」を縦長にした、ときどき濁点もついたりするアレ)が横書きでは打てないし、かといって、ここだけ縦書きにするつもりもないし、中世の文章を、昭和初期の仮名遣いで表記した底本を一生懸命写してみせて……なんか読者に益するものあるのか?オレ?…と徒労感も感じてきたのでこの辺でご勘弁を。
昭和史発掘 新装版9 松本清張 (2005年11月10日 新装版第1刷 文春文庫) p.241~ 八月一日 何にヲッ! 殺されてたまるか、死ぬものか、千万発打つとも死せじ、断じて死せじ、死ぬることは負ける事だ、成仏することは譲歩する事だ、死ぬものか、成仏するものか 悪鬼となって所信を貫徹するのだ、ラセツとなつて敵類賊カイを滅尽するのだ、余は祈りが日日に激しくなりつつある、余の祈りは成仏しない祈りだ、悪鬼になれる様に祈つているのだ、優秀無敵なる悪鬼になる可く祈つているのだ、必ず志をつらぬいて見せる、(以下略)
昭和史発掘 新装版9 松本清張 (2005年11月10日 新装版第1刷 文春文庫) p.253~
八月卅日
余はたしかに鬼にはなれる、自信がある、地ゴクの鬼にはなれる。
いまのうちしつかりとした性根をつくつて、ザン忍猛烈な鬼になるのだ、涙も血も一滴ない悪鬼になるぞ
完全に話が逸れましたので、また今度。この本は第五章まであります。