わしの日記

2024/05/03 (金)

読書

[増補]決定版 日本史 渡部昇一 第二章~



[増補]決定版 日本史 渡部昇一 (扶桑社文庫 2014年10月20日 初版第4刷) p.76~
 平安時代には非常に平和な時代が四百年あまりも続いた。
(中略)
 しかし、この平和な時代は突如として崩れてしまった。それはどうしてかと言えば、まさに平和な時代の特徴であったルーズな男女関係が皇室にはびこったことによる。
 そ、そーなんですか?!
[増補]決定版 日本史 渡部昇一 (扶桑社文庫 2014年10月20日 初版第4刷) p.76~
 鳥羽天皇から見ると、崇徳天皇は自分の后の子だから形式上は自分の子であるが、実の父親は祖父の白河院なのだから、実際は自分の叔父にあたる。それがわかっているから、鳥羽天皇は崇徳天皇を「わが子にして祖父の息子」という意味で「叔父児おじご」と呼び、忌み嫌っていた。
 (同上)p.78に系譜図があるが、興味のないわしの頭にはさっぱり入らない。
 保元の乱に敗れた崇徳上皇は、讃岐の松山に流される。
[増補]決定版 日本史 渡部昇一 (扶桑社文庫 2014年10月20日 初版第4刷) p.80~
その地で崇徳帝は反省と戦死者の供養と都を懐かしむ思いを込めて、自らの地で経典を写し、今日の寺に納めてほしいと朝廷に送るが、受け取ってもらえずに送り返されてきた。激怒した崇徳帝は自分の舌を噛み切って、その血で送り返されてきた写本に「この経を魔道に回向す」「われ日本国の大魔縁となり、すめらぎを取って民とし民を皇となさん」と書きつけた。
 崇徳帝について、わしが持っている貧弱な知識で思いつくのは、上田秋成『雨月物語』巻之一「白峯」ぐらいですかね。
 雨月物語は、もちろん創作なんだけど、登場シーンはこんな感じですよ。
日本古典文学大系56「上田秋成集」 中村幸彦校注 (昭和49年6月25日 第15刷 岩波書店) p.39~
 新院呵々と笑はせ給ひ、「なんぢ知らず、近來ちかごろの世のみだれわがなすわざなり。いきてありし日より魔道まだうにこゝろざしをかたふけて、平治へいぢみだれおこさしめ、しゝて猶朝家ちやうかたゝりをなす。見よ見よやがて天が下に大乱を生ぜしめん」といふ。
 引用の正確さは期待しないでください。古文の繰り返し記号(ひらがなの「く」を縦長にした、ときどき濁点もついたりするアレ)が横書きでは打てないし、かといって、ここだけ縦書きにするつもりもないし、中世の文章を、昭和初期の仮名遣いで表記した底本を一生懸命写してみせて……なんか読者に益するものあるのか?オレ?…と徒労感も感じてきたのでこの辺でご勘弁を。
 なんでこんな本を持ってるのか自分でも記憶曖昧だけど、こういう古い全集ものは、揃うとド高いけど、バラだと古本屋で100円ぐらいでワゴンに積んであるので買ったらしい。

 ところで、故・渡部昇一先生の没年を確認するためWikipediaを見て知ったが、自民党の衆議院議員稲田朋美の全国後援会『ともみ組』会長を務めてたんだそうで。ひょえー。もちろん、まだ、ちゃんとした保守政治家とみられていた時期、過去の話であり、もし、先生が存命だったら、LGBT法はじめ、舌鋒鋭く批判に回っておられたろうなと想像します。
 どんなに偉い天才学者でも、ひとを見誤ることは有るんだなと。
 だから、「この人の書いたものだから、そうなんだ!」と盲目的に信じるのはやめて、気になったところは調べながら進もう、と自分に言い聞かせておるわけです。せっかく、この4月から、わし、時間が多少は出来ましたのでね。

 関係ないけど、わたしの敬愛する小松左京先生が生前出しておられた『小松左京マガジン』の第31巻、なんと! いまカイロ大学疑惑で話題の、小池百合子・衆議院議員(2008年当時)と、嬉々として話す小松先生の対談記事が読めます。のっけからカイロ大学の話になってますが、卒業したとは記事の中で明言してないですな。嘘がエスカレートする前段階だったのかなぁ。昨今の学歴詐称疑惑騒ぎで思いだして、めくってみた。すぐ見つかりましたよ。
 どんなに偉い天才作家でも、ひとを見誤ることは有るんだなと。

 いや、誤ってねーよ、ただサービストークしただけだ、と、星になった先生に怒られるかもしれませんけど。

 渡部昇一先生のWikiでもうひとつ目に留まったのは、先生、松本清張のファンでもあったのですね。
 その松本清張、推理小説はわしも読みませんが、「昭和史発掘」の二・二六事件についての記載は、あまり感心しないところや、反発を覚えるところもありつつ、第一級史料からの大量の引用を列挙してくれるので、重宝しております。
 さっきの崇徳上皇の怨念で連想したのが、磯部浅一でありました。「獄中日記」から大量の引用がされていまして、原文にあたる機会がなかなか無いわしには、有りがたいわけです。
昭和史発掘 新装版9 松本清張 (2005年11月10日 新装版第1刷 文春文庫) p.241~
八月一日
何にヲッ! 殺されてたまるか、死ぬものか、千万発打つとも死せじ、断じて死せじ、死ぬることは負ける事だ、成仏することは譲歩する事だ、死ぬものか、成仏するものか
 悪鬼となって所信を貫徹するのだ、ラセツとなつて敵類賊カイを滅尽するのだ、余は祈りが日日に激しくなりつつある、余の祈りは成仏しない祈りだ、悪鬼になれる様に祈つているのだ、優秀無敵なる悪鬼になる可く祈つているのだ、必ず志をつらぬいて見せる、(以下略)
昭和史発掘 新装版9 松本清張 (2005年11月10日 新装版第1刷 文春文庫) p.253~
八月卅日
 余はたしかに鬼にはなれる、自信がある、地ゴクの鬼にはなれる。
 いまのうちしつかりとした性根をつくつて、ザン忍猛烈な鬼になるのだ、涙も血も一滴ない悪鬼になるぞ
 完全に話が逸れましたので、また今度。この本は第五章まであります。