わしの日記
2024/04/20 (土)
読書
[増補]決定版 日本史 渡部昇一
昨日4/19の豊洲の様子は、YouTubeでライブ中継してくださる有志のおかげで、現場に行けないわしのような一市民も、しっかりと認識できた。
日本保守党 飯山あかり候補を執拗に妨害する、つばさの党根本りょうすけ候補の様子が、余すところなく中継され、かつ、記録されていた。
この日は、北村晴男さんに続き、長谷川幸洋さんが応援演説をするということで、動画を楽しみにしていたのである。保守党の百田代表、有本事務総長はじめ皆さんは良く、小学生じみた挑発に耐えたと思う。何より飯山あかり候補は、あらためて、いい根性をした人だなと感じ入った。また、応援にきた方々の大人の対応も同様で、例えばわしのような短気な人間だと、何かを手にして殴りかかった可能性がある。いなくて良かった。
最後の方は、保守党にも観衆にも全く相手にされず、根本りょうすけ候補は唄を繰り返し歌うしかなかった。詳細は上記の通り、誰でも確認できる形でクリアに記録されているのだから、わしがここに記載する必要もないと思うものの、一点だけ、書かせてもらおう。こんな、唄をマイクで流して演説を妨害するという、小学生でも恥ずかしくてできないような明確な行為を取り締まれないとしたら、公職選挙法って何のためにあるのかね。
さて私は百田尚樹氏の「日本国紀」のハードカバーは以前から持っており、最近、日本保守党に党員登録したのを機に、文庫版もメルカリで(売上に貢献せずすみません)手にしたのだが、色々興味を惹かれる内容である。惹かれた結果としてどうなるかというと、他の日本史本も読んでみないといけない、という気持ちになったわけである。
そこで最初に取り寄せたのが、以前から気にはなっていたが、理屈っぽい感じがして敬遠していた渡部昇一氏の本である。
しかし、いずれはこの先生の本を読まねばならんのだろうという気持ちはずっと持っていた。
[増補]決定版 日本史 渡部昇一 (扶桑社文庫 2014年10月20日 初版第4刷) p.3~
「文庫版への序文』
(前略)
過去においても、近代日本の最大問題はエネルギーだったのであり、そのために大戦に突入し
(中略)
習近平は大漢民族の威信を取り戻すなどと公言している。これは侵略戦争開始宣言に等しいものである。
(中略)
このようなときに、われわれに必要なことの一つは歴史的知識であろう。
(中略)
日本を裁くための東京裁判ですら、中国に対する開戦責任が日本に無いことを認めていることを突き付けるべきだ。
(以下略)
なんだか、出だしからして引込まれる記載である。
と同時に、東京裁判の話も、よく考えてみると、わしはちゃんと勉強していなかった。本棚を探ってみると,小堀桂一郎氏の『さらば東京裁判史観』(PHP文庫)の姿が見えるが、他にもあたってみたい未見の書籍が有るので、それもまた、いずれ。
いちいち気になったところを引用していると先に進まないので、いま一番、わしが疑問に思っている、いわゆる"魏志倭人伝"についての、本書の記載を引かせていただく。
[増補]決定版 日本史 渡部昇一 (扶桑社文庫 2014年10月20日 初版第4刷) p.33~
なぜ『議事倭人伝』は滑稽な文献と言われるのか?
(前略)
日本の中で起こっている出来事を、海を隔てた隣の国が細かく知るわけがないではないか。そもそも日本の歴史を解釈するのにシナの古い歴史書を拠りどころにしようとするのがおかしい。これは江戸時代の山形蟠桃というひとも指摘しており、戦前の歴史でもその常識は守られていた。
(中略)
それはシナの歴史書を見れば明白である。例えば豊臣秀吉と戦って外交交渉もあった明の時代ですらも、日本について書かれた文章の中には噂話から引用したような、バカバカしい話だけが記されているのである。
(中略)
『魏志倭人伝』は昔の日本人の学者も知っていたが、戦前はほとんどまともに取り上げなかった。それは以上のような理由で、大陸の学者に日本の歴史が正確にわかるわけはないという常識が生きていたからである。
(以下略)
わしが子供の頃は矢追純一のUFOスペシャルと、歴史ロマンの「邪馬台国はどこにあったか」は、ほとんど同じレベルの話題であり、どちらも、わしは信じていた。そして、UFO話の99.9%はウソッパチだと知ってしまった後も(正確には「認めざるを得なくなった後も」)、しばらく邪馬台国の話は、その文字通りではないとしても、なにがしかの歴史の真実が色濃く投影されているに違いないと、思い込んでいた。そんなわしの根拠のない考えを打ち破り、上に引用した渡部昇一氏のような明快な否定論を、初めてわしに教えてくれたのは、西尾幹二氏『国民の歴史』であった。これは堂々たるハードカバーで、場所をとって仕方ないのでいつしか古本屋に売ってしまい(重ね重ねスミマセン)、いま手元に無いのであるが、この箇所だけ、明確に論旨を覚えている。
覚えているが、原典の文章の正確な記憶は、記憶を繰り返し反芻するこの二十年ちょっとのうちに、忘れてしまったので再現する自信がない。だから、以下はわしの言葉です、とお断りして、そこからわしが理解した要旨を書く。
卑弥呼というのは個人名ではなく、ヒメミコという言葉に、蔑称というべき卑しい字を当てただけじゃないのか?
邪馬台国も同様に未知の国なんかではなく、我らがヤマトという国名を、イヤらしい意地悪さで変な字を当てて表記した結果を、日本のサヨク系が大仰に採り上げて騒ぎ立てて、なんだか別の国があったみたいに、言い立ててるだけじゃないか。
これを読んだ時、「おおっこれは真実にちがいない」と稲妻に打たれたように思ったものである。
以後、もうテレビの歴史番組や、本屋で見かける歴史雑誌や、その他、何を見たり聞いたりしても
「邪馬台国がどこにあったか? その名前どおりの国は、ないよ。 卑弥呼が誰かだって? へっ! バカじゃねーの」
と思うようになってしまったことを、ここに告白しよう。
私も党員として登録し会費を納めた日本保守党の、代表である百田尚樹先生の『日本国紀』の記述はちょっと違っている。
魏志倭人伝にも一定の信頼性をおいた記述をしておられる。
[新版] 日本国紀 <上> 百田尚樹 (幻冬舎文庫 令和4年1月20日6版) p.27~
(前略)
伝聞や憶測が多く含まれている『魏志』の「倭人伝」を重要視する必要はないという意見もあります。しかし当時の日本を書いた稀少な記録ですから、やはり一級の史料であることは間違いないでしょう。
(以下略)
この日記を書くにあたり、念のため『日本国紀』ハードカバー (2018年11月10日 第1刷)を開いて見比べてみた。ハードカバー版は「である」調だったのを、文庫版はより広い読者層に向けて「です・ます」調にあらためてらっしゃる点を別としても、上記引用個所はハードカバー版には無いようである。つまり、百田先生は新版(=文庫版)にむけて明確な意思をもって、上記部分を追記したのであろう。(注・文庫版の注釈が令和、ハードカバー版の注釈が西暦なのは、実物からそのまま転記しているため。わしが換算して間違えてもいけないので、故意にそうしています)
『日本国紀』自体は、未読の方にはぜひ読んで欲しいと思うし、上記のような見解の相違(?)についても、わしはこれ以上何も述べる材料がない。
ただ、百田先生は同じ個所に、次のような記載をされていることだけは、追記しておきたい。
[新版] 日本国紀 <上> 百田尚樹 (幻冬舎文庫 令和4年1月20日6版) p.28~
(前略)
『魏志』「倭人伝」には、日本人の性格や日本社会の特徴についての記述もあります。
(中略)
こうした記述は、多くの歴史研究者にとっては些細なことであり、見過ごされがちですが、私は敢えてここに注目します。千八百年も前の私たちの祖先が、他人の物を盗んだり、他人と争ったりしない民族性であったことを、心から嬉しく思うのです。
(以下略)
わしもそう思う。この文書は、倭などいう"賤字"を使って記述された文書であることは、先生自身書かれている。このような文書においてすら、上記は事実として書かれていたのである。当時の意地悪な中国人記述者にとってすら、当時の日本人の穏やかな性格は、事実として書かざるを得ないことであったのだ。
ここでわしは、もう一度、冒頭の渡部昇一氏の次の文章を反芻し、その精神において共通するものを、いや、ズバリ通底する心情を、感じとってしまう。
日本を裁くための東京裁判ですら、中国に対する開戦責任が日本に無いことを認めていることを突き付けるべきだ。
この文章は、マッカーサーの米国上院での証言(=「日本が行ったのは自衛戦争だった」 )に続けての文章であった。
同様に、
『魏志』のテキトーな記述においてすら、日本人の民族性の穏和さは明確に書かれているではないかと、われわれは中国共産党に突き付けるべきだ、と思った次第である。
保守とは、心情であるということを、かつて三島由紀夫が言ったと記憶する。
日本を愛するという心情において共通する以上、いまは、それで充分である。
『魏志』の記載についての見解相違など、世が平和になったあとで、ゆっくり論を戦わせればいいと思う。早くそんな世が来るように、共にがんばって、あと数年、この国を襲うであろう艱難を、乗り切れる政治ができるよう、わしも自分にできることを(論説の発信ぐらいだけど)、続けようと思う。
毎度のことながら、日記タイトルから、大きく離れた内容の記載となってしまった。
この本、続きはまだまだある。いま、平安時代の終わりの記述を見て混乱して、必死にマーカーを引いて頭を整理しつつ、飲み屋のカウンターでも読みふけって酔客に絡まれたりして、さっぱり進まない状態であるが、気が向けば、また載せさせて頂きたい。ではでは。