わしの日記

2022/04/11 (月)

「バンマス」



世の中がウクライナ戦争を中心にこうなってくると、朝のテレビで
「さて!まずはコロナ禍からです」
というバカげたキャスターのドヤ顔を観ないで済むので嬉しい。

(とはいえ、コロナがウクライナに変わっただけなんだがね)

橋下徹の馬鹿さ加減が世間に知れ渡ってくれたのは、ある意味、戦争のおかげである。これは感謝する。

しかし一方、ミュージシャンという人種のうちの一定数は、こういう時にイマジンを唄いたがるので、わしは虫が好かない。
清志郎は好きだったしタイマーズもエンターテインメントとしての姿勢は好きだったが、原発や政治についての意見は少々ウンザリしていた。
YMOは今でもわしの神だし、教授もユキヒロも闘病で心苦しい限りだ。だが、坂本龍一の政治的意見には首を傾げざるを得ないので、音楽とそっちは分けて大人の接し方をすることにしている。
ピーターバラカンのラジオは好きだが、時々やっぱり遠回しに反戦的な妙なことを言う感じはある。
それはそうとバラカンさん、この数年、声がもう老人の声になってきていて、そっちが心配だ。
この週末のラジオでバラカンさんは「バンマス」という言葉を使っていた。

これを聞いて、うちの親父が生前、同じ言葉を使って、中学生の私を驚かせたことを思い出した。
その頃、自分のコンポなんてものは買ってもらえないから、茶の間のステレオを使うしかなかった。
YMOのアルバムを一回だけ再生してカセットにとり、LPは大事にしまい込むわけだ。
親父たちはテレビを見ており、こちらもボリュームはある程度絞るけど、ちゃんととれているか心配だから、少し音を出して、針飛びしないようにステレオを見張る。それを横で聞くともなく気にしていた親父が、ジャケットの3人を指さしてだったか、
「誰がバンマスだ」
と聞いてきて、中学生のテクノ少年である私は大いに驚いた。バンマスという言葉は、昭和に生きる私にとってすら、死語に近いもので、わたしの神である最先端YMOに向かってなんという言葉を使うのだ?!と驚きあきれた記憶が、バラカンさんの声を聞いて急によみがえってしまった。