わしの日記

2013/01/04 (金)

平成25年


正直、平成が25年も続くと思ってなかった。今でも、病気で寝込んで観たテレビに、小渕官房長官(当時)が『勝訴』…じゃなくて『平成』と掲げた様子を、ついこの間のように思い出してしまう。個人的な思い出と重なるからだと思う。どうも調子が悪いと思ったら、実は肺結核になっていたのだった。親も友達も皆驚いたが、自分が一番びっくりした。ハ?結核って、現代にもあるんですか?え?ボク?そんな馬鹿な…いつもの風邪だと思ってましたが…という状態。

そして、病院に閉じこめられ3か月。最初は4か月以上と言われていたから、回復は早かったのだと思うが、時期が時期だったので、就職は見送りとし、大学5年生になることを選んだ。それまでわしは、とにかく身も心もアクセクしていたのだが(だから病気になったのかなぁ?)、急に「何もしない」「してはいけない」という時間を持たされ、なんだか調子が狂った。結核の治療とは、食って寝ることである(失笑)。ただ、外に出てはいけない。人に伝染さないよう、隔離されるわけだ。結核の薬は強烈で、なんだか体質も変わった。尾籠な話で恐縮だが、朝、トイレに行きたいと思うと、我慢できないぐらいしたくなる、という風に変わった。そんな副作用があるという話は、いまだ誰にも聞いたことがないが、私個人にとっては、まごうかたない真実である。また、今となっては誰も信じないが、わしだけでなく、周りの患者全員、たばこを吸い続け、やめようとはしなかった。先生も、決して薦めないが、長い入院生活をしっかり維持するという「大事」の前に、軽いストレス解消は目をつぶる、あまり度は過ぎるなよ、というスタンスであった。

さて、平成であるが、なんと冴えない元号だろう、と当時思ったものだ。当時の世、「平成○○テレビ」などという番組タイトルもいくつか使われていたが、何かこの元号の凡庸さを小馬鹿にしたような雰囲気があった。本当は「平成」という言葉はとてもいい意味だと思うのだが、小学生でも書ける漢字で、かつ、明治や大正みたいに大きく出ないイメージから、平凡に見えるんだよね。

元号というやつは、SFを始めとする「近未来小説」作家泣かせであると思う。
予測ができないからである。適当な年号を振って小説を書いておいて、まったく違ったら、小説が売れなくなるかもしれない。
元号そのものも予測できないし、いつまで続くかもわからない。

しかし本当にそうなんだろうか。ある程度候補は絞られるのではないだろうか?
それが行われないのは、「元号当て」というのは、崩御を前提にした不吉かつ不遜な話であるから、日本人の品性の発露として、遠慮しているということなんだと思う。

ガンダム・オリジンで、遠い昔に滅びた民族のハラキリに触れる箇所があって、「なんだ、宇宙世紀には日本は滅びてるのか!」と、それっきりオリジンを読まなくなってしまった。(安彦先生ごめんなさい)

予測して当てることを目的とせず、「未来小説が書きにくい」という観点から元号を考えてみると、今挙げたガンダムのように、日本はもう無いことにして、その前後をすっ飛ばして、もっと先の未来にしてしまうのが、一つの手だろう。しかし、わしは、たとえフィクションでも、そういうのは嫌なんだよな。

嫌な理由には、そこをごまかす、という意識に加え、今の世の中を見ていると、本当にそうなりねないという危惧を感じる時があるので。
でも、今年は何か変わるだろう。
いい意味でも悪い意味でも、日本は外圧で変わるんだな、と今思っている。

夏目漱石の「現代日本の開化」という講演録を読み直したが、今読んでも、まったく同じ状況なのだと思う。
江戸の平和を保って暮らしてきたこの島国を、勝手に自分たちの利権のためにこじ開けて「開国」させた奴らが、好き勝手に基準やら評価やらを決めて、うちの国に注文しやがって…という歴史感覚、もっと持っていいんじゃないかな。少なくとも、海外の理論や学識を、さも「常識」であるようにふるまう輩は、もう一度考えなおして、恥を感じてほしいと思う。本当にそう思う。反知性主義を薦めるつもりは毛頭ない。

同様に正月、山田風太郎の「妖説太閤記」を読んでいたら、作者の独白的に、前の太平洋戦争のダメダメ指導ぶりに触れたあと、しかし…と。ああやって世界に軍国日本の強さを見せつけて大暴れしたから、いま「軍備なし」と宣言しても誰も攻めてこないし、アメリカも再軍備を迫らない。と書いていた。だからあの戦争で散華した多くの将兵の死は、犬死になどではなかった、と。この作者のことだから、どこまで本気でどこまで皮肉かわからないが、わしは、ここは作者の本音だと思っている。

結果として、いい年になることを願います。