わしの日記
2000/01/23 (日)
靖国神社に初めて行った
都営新宿線九段下駅を降りて、数回しか行ったことのない武道館を道路の向こう、はるか左手に眺めながら(それもライブでしか行ったことがない)、てくてく歩くと、そこが靖国神社である。いきなり観光バスが並んでいる! そういうところであったのか。
昔々ぼくは、「戦え不沈空母ニッポン」という噴飯ものの小説を書き、友人に読ませたりしていたのだが、その中で、全くの想像で靖国神社の境内について書いた。まったくどんなところか知らないから、近所の神社の境内をモデルに書いた。(笑)さて、この年になって初めて行ってみると...やっぱり普通の神社であった。もっと想像と違うのかと期待していたのだが。(笑)北海道神宮の方が大きいんじゃないか。大きければいいというわけではないが...
境内には白い鳩がわんさか居た。いくら何でもこんなにたくさん、白い鳩ばかりが自主的に集まってくるとも思えないから、飼ってきて離しているか、餌付けしているか、じゃないんだろうか。ただ、境内の雰囲気と相俟って、「英霊が、鳩になってここで戯れている」という、空想にとらわれそうには...確かになる。
とりあえず本殿には行けないようなので、参拝殿までてくてく歩き、お祈りしてきた。
何を祈ったかは秘密である。
参拝殿の前では、まったく普通の神社同様、お守り・文鎮その他、趣旨不明なアイテムを多数販売している。普通と違うのは、国旗その他、通常では販売しないようなアイテムが揃えられていることである。数組のカップルが、たむろっているので、一体何をトチ狂ってこんなところに?と訝って観察してみると、実はおみくじを買っているのだった。そう、靖国神社でもおみくじを、堂々と、それも極めてリーズナブルな値段で提供しているのであった。恥ずかしくて買わなかったが、木の枝にしばりつけていたから、きっと大吉・中吉などのノーマルなおみくじなんだろう。「空母撃沈万々歳」なんておみくじでないのは確かだ。そんなわけで、その周辺だけ、別の意味で、異様な雰囲気である。こんな場へ右翼青年のぼくが割り込んで、訥々とした声で
「英霊の言の葉、全部ください」
としゃべるのは、いかにも不自然である。迷惑である。あっち行け。などと思っていてもしょうがないので、ほったらかして、遊就館に進んだ。
書き出すとキリがないのだが、東条英機の映ったビデオを、熱心に見ている青年がいて、ナンじゃろうと訝ってしまった。何を考えてるんだが知らんが、のめりこみ方が異常な印象を受けて怖くなって、さっさと離れてしまった。ぼくは、自虐的に自分のことを「右翼青年」などと書くことがあるけれど、もちろんただのプログラマである。職業右翼などというものは軽蔑していて、ヤクザの下部組織か、パチンコ屋の宣伝と同列のものと理解している。(こんなこと書いていいのかな?)
ただぼくは、戦争で死んだ人々のことを、知りたいと思うことが、時々ある。そういうことが、普通の人よりちょっと気になるだけではないかと思う。そういった打算的な心をせせら笑い、冷水を浴びせ掛ける、殺気に近いものが、確かにここにある。少なくともかつては、確かに存在していたことが、ぼくのような軟弱者にも了解できる形で、示されている。それをファナティックな軍国主義の犠牲と蔑んでみても、サムライの自己犠牲の精神の発露と持ち上げてみても、ズレ具合は同じこと、ズレる方角が違うだけで、実はあまり違いは無いように思う。政治的意見でなく、ただひとりひとりの人間の死に様として考えれば、そんなレッテルにはあまり意味がない。百歩譲って「○○が、若者を犬死にさせた」という言い方は、まだしも成立するかも知らん。しかし、死んだ人(この神社では神様なんだが)を指差して「あなたたちは犬死した」って言い方はないだろう。人間はいつも何かに制約された状況で生きている。どういう風に死ぬかというのは、時代を超えて普遍的な問題じゃないかと思う。
「英霊の言の葉」というのは、靖国神社の社頭に掲示される、英霊の書き残した文書(ほとんどは遺書だ)を、定期的に刊行している冊子である。一冊500円で、今のところ、6巻まで出ている。ぼくは恥ずかしながら全部買った。
それとは別に、展示されたものはまた非常に迫力がある。誤解を恐れず書けば、感銘すべきものである。と言っても、それは、見た瞬間伏し拝むようなものではないのである。当時を知らないぼくのような人間が、出征にあたって書き遺す言葉の書き記された布切れの展示をガラス越しに目の当たりにすると、
「やっぱり若いんだなぁ、字が下手だなぁ。おれならもっと上手に書くし、言葉ももっと選ぶなぁ」
などと不謹慎なことを思うのである。でも、書いてある内容は、真に戦慄すべきものである。一番印象に残ったのは...たぶん、景気づけ的に、やや諧謔もまじえて書いたのだろう、
「俺は行く、貴様も来い」
という文章だ。どこかの保険会社の昔のポスターみたいだが(失笑)、これを見たとき、さすがのぼくも少々、暗澹たる気持ちで考え込んでしまった。
こういう展示ばかり見てると、精神的に非常に高潔なひとほど、早死にしてしまうんじゃないかという妄想にかられる。たぶん、半分ぐらいはあたってるような。そうして、そんな立派な人達が全部自決したり、弁解せずに処刑されたりした後から、戦後日本の風潮が形成されてきたんじゃないかと。...実に短絡的で、危険ですらある意見だなぁ(笑)。
遊就館には、多数の軍艦模型なんかも展示されていて、見学者の中には、それらを指差してあれこれ蘊蓄を傾けているひとが数人居た。あまりこういうので人を引き付けるのはどうかな、なんだかなぁ、と思ったが、幸い、ガンプラは展示されてなかった。(笑)
外の休憩所は全く、俗なところで、ごく普通の売店である。
歩きつかれたので、ここでお好み焼を頼んだ。しかし待てど暮らせど、さっぱり焼きあがる気配がないので、ビールを追加でもらい、ぐびぐび飲んでいると、親子三代ぐらいでやってきている家族連れに、いやーな顔で見られてしまった。見た目が若いというのは、こういうとき実に損である。