わしの日記
1999/12/11 (土)
社説
来年は新ミレニアムじゃないんだってばサ
わしの理解するところでは、来年は20世紀最後の年、かつ、第2ミレニアムの最後の年である。前者については(勘違いしていたひとも、説明すればきっと)異論がないと思う。だって、西暦に0年というのはないのだから。最初の1世紀は1年から始まったのだ。99年になっても、100年経過するにはまだ1年足りない。そう考えれば、誰だって納得するだろう。
ところが話がややこしくなるのは、世の中のある種の人々にとっては、来年から新ミレニアムが始まるらしいことである。
千年紀という言葉は占星術か何か、怪しげな(失礼、つまり国家の公文書等で用いられる暦法の正式な単位してではなく、という意味)、万人が認める公式な定義の存しない単位なのだろうか。わしも最初はそう思った。それなら、これだけミレニアムという語が蔓延し、多義的に使われる状況も理解できるというものである。中には、80's、90'sの代わりにミレニアムと称しているのではないか、とかんぐりたくなる向きもある。ま、00'sじゃ確かに言いずらい。さらには、ずばり2000年のことをミレニアムと言っているのでは?と思いたくなるような言葉遣いが、テレビやラジオから聞こえてくる。これも根拠はわからないではない。つまり、キリスト生誕2000年を祝して、そう言っているのなら、ま、それはそれで良い。ただ、言葉の用法として、あまりにいいかげんに過ぎる、というのは変わらん。もっとひどいのは、今年の年末のことを、ミレニアムという語で表している(つもりになっている)輩がおりはせんか、と心配になるような、おかしな言葉づかいが多い。
そこで、ものの本、いやさ、もののサイトを眺めて歩いたが、やはり、『公式に』そうらしい。千年紀は、まさに『公式に』世紀を10個束ねた単位であって、世紀と千年紀で切れ目がズレてるわけじゃない。わしや、これを読んでいるあなたの漠然と感じていた、
「ミレニアム、ミレニアムって、なんだか変だな?」
という疑問はやはり正しいのだ。だから、世間のバラエティー番組の司会者や、宝くじのコピーライターはここに猛省し、「ミレニアムの最後の年の前の年の年末になりました」と言わねばならんし、「ミレニアムの最後の年の前の年の年末宝くじ」と、正確な記述を心がけねばならん。
今年は、20世紀の最後の年の前年である。
来年は、20世紀最後の年であり、源氏物語に始まった第2ミレニアムの最後の年である。再来年が21世紀の始まりであり、第3ミレニアムの始まる年である。
だから、今現在は、"第2ミレニアムが終わる前の年の年末"に過ぎん。
(なんでこんなわかりきったことを、いちいちインターネットで説教せにゃならんのじゃい?)
さて調べてみてわかったのは、話がややこしくなるのは、世紀末毎度おなじみのことであるらしいこと。ま、確かに間違えやすい。1899年と1900年にもやはり、いろいろと誤解が横行し「新世紀は来年からだ」という注意が行われたようだ。英国じゃタイムズの社説にまで載せたらしいからね。
しかし、今回のミレニアム騒ぎの原因はハッキリしている。何といっても、キリスト教圏の国々の誤解もしくは意図的な歪曲である。バチカンが「大聖年」を宣言し、イエス生誕2000年を祝したもんだから、彼らは今年がめでたい年である=そういえば2000年だった=そうそう新ミレニアムだ=違うんじゃない?=いいじゃん、そういうことにしよ!=わお!わおー!! ...という短絡に至ってしまったのではないかと推測する。と同時に、多くの確信犯が荷担して、これを強化し、開き直り、ミレニアムを祝う行事を続々と企画しはじめたのである。
しかもこの憂うべき集団痴呆化現象がキリスト教圏にとどまらず、極東の島国にも波及しておる。2000円札まで出すらしい。おまけにマスコミがこれをミレニアム、ミレニアムと持ち上げる。ここは日本人らしい几帳面さを発揮して、「ミレニアムの最後を飾る2000円札」と確実に誤解の余地なく記してほしい。(わしが首相なら「2001円札」を出すわい)だいたい、そんな暦法の理解というレベル以前に、この国はどこの文化圏にぞくしているのか、わけがわからなくなる。わしは右翼の街宣車は昔から大嫌いだが、今度ばかりは駅前に立ってメガホンで叫びだしたくなる。
そういうときに持ち出されるのは、「みんな祝ってるんだからいいじゃん?」って理屈だ。これは許そう。しょせん西欧のやつらが勝手に作った暦を、自分でねじ曲げて、ミレニアムがいつから始まるかで内輪もめするような状況を作って、混乱してるだけだと思えば、別にわしが心配するには及ばない。「経済効果がどうこう」って理屈も、許そう。ミレニアムが来年と再来年の二回来ればそれだけ効果も二倍ってんだから。まったく、現実的過ぎて、呆れるばかりだ。
"経済波及効果"ってやつは、常に「それ、なんかおかしいんじゃない?」という正論を封じ込めるよき材料になるらしい。まるで破邪の呪文だ。野球でジャイアンツ優勝を望む話も、日本経済の立ち直るきっかけの話も、どちらも同じ理屈でくくられているのは、実に面白い。
ただひとつ、わしの属する会社のように、Y2K問題の専門家をもって任じる会社なんかでは、少なくとも知らなきゃまずいと思う。相手が「いやー新ミレニアムですねー」と言ったとき、とりたてて指摘する必要などない。それは礼儀の問題だし、あるいはその相手にとっては、正否の問題でなく、個々人の信念の問題なのかも知れないしね。(わしはそうは思わんが)
でも、ビジネス文書として、この種の間違いは(イベントの企画書は除くが)まずいよな。
自分から社の文書として何か出すときに、特に宗教的イベントについて語るでもなく、単に暦の言い換えで(それも、気の利いた言い回しだと信じ込んで)「新ミレニアムです」などと書いてしまっては、社の恥になる可能性があるよな。
「2000年のなんたるかも知らずに、よく2000年問題に対処できましたな」
って笑われちゃうもの。笑われるかも知れない、というところが問題なんだ。
※
朝、わしはJ-Waveで目ざめるんだけど、「次の1000年に残すミレニアムカウントダウン!」なんて企画のCMが聞こえると、ふとんの中から
「それは違ーう!」
と返事して起きてしまう。
そのあと会社で、「おーいお茶」を買うと、缶に俳句が印刷してあって
「蜜柑むく ほのかににほふ 新世紀」
なんて句があって、思わず茶を吹き出しながら
「これも間違っとーる!」
と叫んでしまう。
早くホントに2001年になって、NHKや新聞で
「新世紀が始まりました」
ってやりだせば、わしももうちょっと落ち着けると思う。うん。