わしの日記
2004/10/18 (月)
キツネのホツマシリーズ
芸術とは何であるか
「芸術とは、人間の理解力が届かぬ地平に見える幻であるか?」
キツネのホツマは唐突に叫んだ。
「であれば、全能の神には芸術は見えないのか?芸術とは、人間の生み出した、不確かな幻想であるか?」
「いやそうではないワン」
イヌのポチは尻尾を振った。
「いや、そうだコン」
ホツマはいつになく強い調子で目を吊り上げ、肩をいからせ、手にした徳利から酒をいっぱい呷った。
「人間の理解力には限界がある。だからこそ、神秘を見るのだ。限界がなければ、全ては明晰であり、そこに美はない。」
「だってお前はキツネだワン」
「うるさい。まさに芸術の陶酔は、神秘体験は、人間の理解力の限界から来るのではないか。おい、聞いてるのかコノヤロー」
電柱に向かって片足を上げるポチを、ホツマは思い切り蹴り上げた。
キャイーン、と叫んでポチは隣町まで駆け去った。
そこにダリが現れた。
現れ方が尊大で気に入らなかったので、ひねくれ者のホツマは、冷たくベタなあしらいをすることにした。
「おまえダリだ?」
今にも舌を出しそうな顔で、ホツマは言った。ダリは露骨にいやな顔をすると、背を向けて去って行った。ホツマはほくそえんだ。
再び独りになったホツマは叫んだ。
「人間の理解力には限界がある。その理解力をもって理解した世界は、やはり限定的であるはずだ。しかしそこで気になるのは芸術とは何かだ」
今度は誰も現れない。ホツマはちょっと回りを見回し、さらに続けた。
「情熱とは。陶酔とは。そして絶頂体験とは何か」
「ワン。ホツマ、下品だワン」
いつの間にかポチが背後に戻っていた。
「お前の好きな、エクスタシーの絶頂ではないわい!わしは今、極めて精神的な話をしているんじゃー!!」
後ろ回し蹴りを喰らったポチは、月まで飛んでいった。
「…そのような、合理主義では理解できない「価値」は確かに、人間界に連綿と存在している。歴史上、数多くの血が、愚行が、繰り返された。ニーチェはそれをディオニュソス的と言ったが、それらは、一体何に由来するのか。厳然たる存在、本質などではなく、それは、単に理解力の限界に見える幻ではないのか、シュバルツシルドの限界のように、ある境界にたゆたう、事象の地平線の彼方の幻に過ぎないのではないのか。」
「理解できません」
現れたキャティの横顔は冷たく、しかし美しかった。だが、もはやそれは、ホツマを苦しめるものではなかった。
次のキャティも現れた。その次も現れた。だが、ホツマは動じなかった。なぜなら彼は、既に、バランス棒を手にしていたからだ。
ただ、手にするのが遅かったことは承知していた。
であれば、することは決まっている。
自分の好きなようにする。
追究する。
求道する。
そう、この世の真実は何か。われわれの世界はいったい何なのか。それを突き止めずして、どうして死ねよう?
雲の動きが早まり、風が出てきた。
ホツマはなおも、道に立ち尽くし、肩をいからせ、叫び続けた。
「この世の中は何のためにあるのだ。われわれ人間は、何のために苦悩を抱えるのか」
そこまで言って、ホツマは声を切った。でもお前はキツネじゃないか、と誰かが突っ込むのを待っていたのだ。
だが、彼にかまってくれるものは、一人も残っていなかった。
…。
「”世界の中心で愛を叫んだ”まできたら、”けもの”と続けるのが、SFファンだよな!」
誰にも意味がわからなかった…いや、周りには、誰も居なかった。
「何がセカチューだ。エリスンなんか下敷きにしやがって、日本人なら小松左京大先生を忘れるな。わしもいつか小説を書くぞ。タイトルは、”あーあー果てしない、あーあー川の流れのように”だ!」
言ったホツマ自身にも意味はわからなかった。