わしの日記
2004/03/03 (水)
札幌の旅1/5
寒いのなんのって……
休みをもらって(というより取らされて)実家に帰った。わしの実家は札幌である。
飛行機はAIRDOに決まっている。
近頃は、ANAと提携したおかげで、ANAの機械が利用できる。浜松町でモノレール乗る前に、ちょちょいのちょい、と座席指定が出来て便利だ。
羽田に一分でも早く行くなら京急を利用するに限る。が、乗換えを少なくしたいわしは、品川など経由するのは嫌だ。新宿で大江戸線に乗り換え、大門でモノレールに乗り換える。Suica嫌いのわしなので、JRは不便だ。旅行の大荷物を抱えた姿で、JRの切符を買わされるのは苦痛である。新宿の雑踏を避けて、平日ならほとんど誰も通らない地下連絡通路をのんびり歩いてエスカレータで降りて、最後はパスネットと通勤定期で出てこられるこのコースが大好きだ。これからも混雑しないで、ずっと赤字のまま本数だけは大量に運行して欲しい。
昔のエア・ドゥは、レジも置かず、引出しの中にお金を並べたりしていて、独創的にがんばってる姿を応援しつつも、内心ちょっと、こんなことやらされるお姉さんも恥ずかしくないかしら、と同情したこともあった。今はすっかり軌道に乗り、いい落としどころ(オトナ語)を見つけたと思う。あまり儲けすぎて、ANAに嫌われないように祈る。
羽田で「37」番搭乗口と言われ、いやな予感がしたら、案の定、バスである。何が悲しいって、空港で「さーヒコーキ!」と思ってるところ、バスに乗せられるぐらい悲しいことはないのである。
例によって早く着いてしまったので、ゲームボーイでウィザードリィ外伝Ⅱをした。
ここ数日は、またWiz熱にうなされていて、昔のファミコンを引っ張り出したり、最近の新しいWizを買うかどうか迷ったりしている。それは余談。
飛行機へのバスは、譲って譲って、ゆっくり乗った。そしたら座れた。人生とはそんなものではないだろうか。いい年した大人が、いがみあい、人を押しのけ、押し合いへしあいするのは、見苦しい。わしはあーはなりたくない。
それにしても、飛行機に乗るジジイの二人に一人は酒くさい。わしのような飲んべがくさいと思うのだから、120%臭いと断定して良いだろう。
AIRDOの1号機か2号機かわからないが、21Gという席に初めて座った。ここは特等席だ。非常口のところなので、わしの長い(自称)足が完全に伸ばせるのだ。むふふん(死語)。
カッコして、(死語)と書き加える、その行為自体が死語だと思うのだが、ま、たまの休みだから許してくれたまえ。
千歳に着いたら…寒い!!
わしの実家は、高速バスで行くと早い。いつも通り、券を買って、高速バスに乗ろうと外に出たら…寒い!!
果たしてわしの体は、東京(23区外)暮らしを続けた結果、すっかり北国のことを忘れてしまったのであろうか???
寒い!!
しかも雪が少ない。バスの窓から見る道路も、路面丸出しだ。よく雪まつりができたなと、思う。
雪まつり作戦を実行した自衛隊の皆さんに感謝して黄色いハンカチでも書いたろかと思った。しかし、思えば高校生の頃のボク(当時の一人称)は、ご多分にもれずサヨク的であったから、何かと悪口を言ったものだ。そんなことどうせ誰も知らんが、だからといってだんまりは卑怯である。昔から「天知る地知る我知る」というではないか。自分の過去の言動を隠して、急に正反対のことを言うことは恥ずかしくあつかましいことである。だから、お礼もこっそりここに書くことにする。あつかましいのは嫌いだ。わしはそんな人間にはなりたくない。一貫した男でありたい。
…なんで雪ごときでそこまで書かねばならないのであろうか?
それは、バスが遅くて、なかなか実家に着かないからである。
しかし読者の都合およびインターネットのトラフィック軽減のため、ここらで、事実には反するが、実家に着いたことにしてあげる。
さて今回の旅の目的は、本人つまりわしが休むというより、親を喜ばせることである。
おふくろは餃子とけんちん汁を作ってくれた。
…
サッカーのレバノン戦を、何となく、観る。勝って何よりである。
夜中、HTB(北海道文化放送)を視聴する。さすが水どうの聖地・札幌である。「どうでしょうリターンズ」の、提供を、藤村Dが読み上げていることを知った。これは、テレビ埼玉やテレビ神奈川とは違う。
やっていたのは、屋久島の釣りバカ対決の最終回、そして、どうでしょうの休止についての発表を行う重大発表の回だった。
…これを観て気づいたのだが、数年前、実家に帰ったとき、初めて「水どう」を観た時に放送していたのが、なんと、今「リターンズ」で観ている釣りバカ対決の、前の回だったのだ。数年を経て、続きを観たわけだ。何と言う偶然。
今回の帰省は、まったく偶然に決めたのだが、どうやら、わしは、「水どう」に呼ばれたようである。
わしもまた、水どうバカの一人として、一生どうでしょうします、と誓うのであった。