わしの日記

2003/10/26 (日)

生産性の船(洋上研修)6/8

ウラジオストク出港


朝のウラジオ駅に、チームみんなで散策に出かけた。道端のパン売りのおばさんからピロシキを買って食べた。少々酸っぱかった。例によって、言葉が通じないフリをしておつりをちょろまかさないか、周りのやつらはひったくりじゃないか、と神経を使いながら買ったので疲れた。何しろロシア人は金を受け取ってから、数えて、おつりを出すまでが長い。

駅前には、これと言って物売りも居ない。これが天下のシベリア鉄道の起点なの?……という感じである。ただ、ホームは非常に混雑しているのがよく見渡せた。誰も、駅ではぐずぐずせず、さっさと乗ってしまうということであろう。ロシアのビジネスマンというのはどういう格好なのかわからないが、たぶん、あれは、仕事に出かける人々が半数以上ではなかったかと思う。一言で言えば、旅に出るとは思えない軽装の人が多かった、ということである。

市内でよく見かける六角形の小さな建物に収まった、キヨスクみたいな、おそらく公認の売店は、一つだけある。

道端の新聞売りは、やたら、大きな面積を取って売っているのだが、クロスワードとか、少々御下劣な新聞とか、そんなものを、朝っぱらから堂々と、水平に広げて売っている。しかも、誰も見向きもしない。ということは観光客向けなのか。まるで数十種類の新聞があるかのように、とにかく面積をとるので、不思議に思ってチェックしてみると、確かに数十種類以上あるのだ。なぜこんなに新聞の種類があるのか、不思議であった。……というより、新聞ではなく、日本の雑誌、週刊誌に相当するものなんだろうと想像する。

事前に聞いていた通り、日本の中古車が多く、かつ商店名や会社名をそのまま入れて走っていた。これを取ったり消したりすると、事故車扱いになるからだそうだ。しかし私がピロシキを食べながら駅前のロータリーで見たクルマは、ボディとドアに、別の商店名が入っていた……

この人たちはこの文字を何だと思っているのだろう。単なる記号、模様ぐらいに思っているのだろうか。そうだろう。しかし、例えば日本人のTシャツなどに、訳のわからない英語が入っているのを見ると、英語圏の人はこんな風に思うのだろう。

船に戻る帰りがけ、プーチンそっくりの若い男が陸橋の上に、ボーッと立って、それとなく通行人に目を光らせているような素振りを見せていた。あのような顔立ちの人間はそこら中にいるのだろうか。それとも、日本人である私は、ロシア人の顔を見なれていないから、識別能力が低いということだろうか、などとつまらないことを考えた。

船内では、再び、上陸の報告会として、チーム内で情報交換をした。ウラジオストクで列車に乗った人たちの意見では、あまり良いツアーではなかったようである。(プサンの経験で大体想像は付いた)

パスポートチェックをして船に戻った後(もう上陸はできない)、ウラジオストクに常駐している日本センターの局長さんの講和を頂いた。ウラジオの人は、一見収入が少ないように数字上は思えるが、実際は副業を持つのが一般的で、見かけよりは収入があるのがほとんどだ、という話が印象に残った。これもまた、長く続いたソ連の遺産なのだろうか?トイレの話も再び出たが、モラルについては、やはりソ連時代の感覚で公共物を扱うからであり、ある世代以上の人間がロシア社会に出てくる時代が来るまでは、たぶん、直らないだろうという見方をされていた。

私の育った北海道でも、ロシア人の船が立ち寄ったり、中古車を買っていったりする港がある。そんな場所で、例えば銭湯などで、ロシア人の入浴拒否をしたなどと、新聞に書かれて問題になっていたりしたことがあった。しかし、こういったことを見聞きすると、それは、新聞がヒステリックに書きたてるような「人種差別」などであるはずがなく、単に「衛生観念」および「商売上の理由」から来る、苦渋の選択だったに違いないと想像する。

ロシアの家庭訪問コースというオプショナルツアーがあり、そこに参加した人、誰に聞いても、非常に暖かい、いい印象をもっていた。オプショナルツアーの中で、このコースだけは、良かったようである。私などは、疑り深いので、「どうぜ家庭訪問慣れした『半プロ』がやってるんだろう?」ぐらいに思っていたのだが、実際に家族に接して生活を垣間見てくる体験は、非常に良かったようである。みんな、家族と一緒に写真を撮ってきて、楽しそうに思い出話をしていたのを見て、ちょっと羨ましくなった。私が正教会で感じたものと、近いのかもしれない。