わしの日記

2003/10/25 (土)

生産性の船(洋上研修)5/8

ウラジオストク上陸


ウラジオストックに入港する。隣に停泊する船は、港のクレーンを用いて、中古車をこれでもか、これでもかと満載しつつあり、「ウラジオでは日本の中古車がほとんど」という現実を否応なく感じさせる。すぐ向こうには、軍艦も居る。時代は変わったとは言え、こうして、観光気分で、ロシア海軍の艦艇の写真を撮影していいのだろうか?という考えがちょっと頭をよぎる。誰かが冗談で、「射撃されたりしてな」というのが聞こえるが、いつ何時、そんな緊張関係に戻らないとも限らないだろう。

さて、ロシアらしさを感じさせたのは、午後のバスで、現地のガイドが居なくなってしまうというトラブルで、旅行会社の係員が揉めていたからである。ご苦労様としか言いようがなかった。また、用のない大男が各バスの最後尾に座っており、やる気なさそうにみやげを売ったりしていたが、後でそれは「用心棒」だと気付いた。我々団員は何台ものバス、何とおりかのコースに別れていたが、どのバスにもそんな『マネージャー』が居たのだそうだ。

ここでも何ヶ所か回ったのだが、韓国とは非常に対照的だった。
まず、店員が少ないし、そもそも客が来ても、何も言わない。立ち上がりさえせず本を読んでいる。
しかもそのポーズが何だか絵になっていて癪に障る。まるで、デパートの店員というより、売れっ子の占い師か何かのようである。
しかし、不親切というわけでもない。例によって私は日本語で話しかけるのだが、とりあえず、親切そうに相手はしてくれる。どこに行ってもレジが無いのがちょっと気になって、値段の計算を、目を皿のように見張っていたが、特にちょろまかされることもなかったようだ。

ふたりか三人で、革ジャンを着こんで、スキンヘッドにして、道ばたに立っている男達を良く見かけた。強盗でございますと言っているようなもので、何で、あれほど露骨に、何もすることもなく、通行人をギラギラ眺めながらボーッとしている連中が多いのか、不思議だった。

やはりこの話になるが、日本人の目から観ると、やはりロシア女性はきれいである。しかし現地のガイドさんに言わせると、美的価値が違うので、いちいち振りかえるほど綺麗だとは思ってないんだそうだ。

雑然と道場に広がる自由市場と、近代的な?建物のイグナート百貨店という、対照的な商業の場に行ってみたが、ロシア人はやはり共産主義時代の態度から抜けてないのかも知れない。活気を持って販売の声を上げているのは、よく見ると朝鮮人か中国人なのである。

もっとも、それがいいかどうかはわからない。

訪れたロシア正教会では、敬虔なロシアのおじさん、おばさん達が、祈りをささげていた。
私は何もわからぬまま、なるべく物音を立てないよう注意して、ローソクを立てたが、その時、ふたりの信者のおばさんから、何事かアドバイスを貰った。……残念ながら私には、何を言われたのぜんぜんわからなかったのだが。

このようなつつましい、古き良きロシアの良識ある市民の態度と、戦争時代に見られるロシア兵の暴虐と、なぜこのようなものが両立するのだろうか?私には非常に不思議であった。そもそも、この街の名前からして、極東を征服するための拠点としてつけられたものである。

ロシアの町並みは、日本や、おととい見たプサンとは全く違う。我々には、近づいて中を覗くまで、何の建物かわからないぐらいである。例えばファストフード風の店だったり、ビリヤード屋だったりするが、外からみると、由緒正しい古い建物にしか見えない。実際古いのだと思う、あちこちで改修をしているが、ロシアの建物は、日本のそれとは全く構造が違う印象を受けた。特定フロアだけとか、角の部分だけとか、屋根だけとか、限定された修繕工事を多く見かけた。その部分だけ、直せばいいわけだから、古い部分は古いまま、ずっと残っているのではないだろうか。街路樹も多く、秋でもあるせいか、とても絵になるのである。静かで、落ち着いていて、平和な感じがする。

しかし実際は犯罪が多い。街もよく見ると、空き部屋が多く、空洞化している感じだ。単に、人が少ないからスラムにならないだけ、という見方も出来るかもしれない。

建築中の高層マンションを見かけたが、鉄筋の周りに、レンガを積んでいるだけに見えた。たぶん、そうなのかも知れない。地震国である日本とは、まったく違うのだろう。

尾篭な話になるが、ロシアでは、どこに行ってもトイレが有料である。
広場の端に、移動トイレが何個も立っていて、おばさんがイスに座って見張っている。何をしているのかと思ったら料金を取るのだ。
にもかかわらず、その運営状況は、とても、日本の有料トイレではあり得ないものである。例えば、イグナートホテルの地下のトイレは、排水が全部詰まっている上、センサーもイカれていた。日本の公衆トイレだって、数十年前までは、もっとひどいありさまだったと思うので、ここでロシア人の性向云々などと、大上段に構える気はないが、せっかくアジアに近く、観光でもそこそこ売れそうなウラジオストクなのに、もったいないと思った。

でもロシア人の自宅のトイレは、とても綺麗なのだと現地のガイドさんが言い訳していた。いや、それは当たり前だと思うのだが……

なお、研修のオプショナルツアーとして、「金角湾クルーズ」というものを申し込んだのだが、その実態は、クルーズなどではなく、漁船か渡し舟のようなものに乗って湾内を一周するだけだった。他メンバーに話を聞いたが、総じて「オプショナルツアー」の実態はそんなものだったようだ。

かくいう私も、最初は「自腹を切って、そんな得体の知れないツアーに参加するなんて」と決めこんでいたのだが、チームメンバーに感化された。私より年上の、分別有りそうなおじさんたちが皆、「いやいや、そんなことはない、これは安い、いいツアーだよ」「この値段で○○なんだから安い」「だってツアー参加しないで、XX君どこに行くの?」などと、いかにも旅行慣れしたような、通ぶった様子で言うものだから……ついつい、考えを翻して、申し込んでしまったのである。
(うちのチームのみんな、いい年して、世間知らずだっただけだ……)

今後、本研修に参加される方には、しっかりと、自分で判断することをお勧めする。私の考えは極端かも知れないが、例えば、ウラジオストックの道端に立って、10ルーブルぐらいの安いパサパサのパンをかじりながら、バス停に立つ人、行き交うクルマ、観光客にたかろうとする子供達の動きを観察するだけでも、いろいろなことを考えさせられ、また想像する。なぜこの街には信号がないのか。そのために何が起きるのか。自分がここで暮らしていたらどうするだろう。……そこから何を得るかは、どれだけ真剣に観察するかで決まる。結局は見る側の洞察力が試されているようなものだ。有名な場所に行って写真を撮ったどうかなんてことは、どうでもいいことではないだろうか。

さて、「ふじ丸」の100分の1模型ぐらいの「クルーズ船」の中では、ロシアの民族音楽の演奏を4人組で見せてくれた。が、ガイドさんの話から想像するに、大学の先生などに頼んでやってもらってるようである。もしかしたら学生さんも混じって居たかもしれない。ただ、非常にユニークな見たこともない楽器が使われていたので、私には興味深いものだった。せめて記憶だけは蘇るように、音は良くないが、ケータイで、たっぷり録音してきた。**さんが呼ばれてダンスに参加した。私がそれを見て笑っていたら、次は私が呼ばれてしまった。

オプショナルツアーは食事付きだった。が、プサンの"レストラン"「宮殿」ほどではないが、やはり小さなパブ風の店で、店員がなぜか意味もなくミニスカートで出てくるので、何だか、日本人はそういうのが楽しみで来ていると勘違いしてやせんか、と、妙に気になった。料理は、カラオケルームで注文できるつまみ程度の貧弱なものが、テーブルにまとめて置かれていて、勝手に取って食べろ、というスタイルの、それはそれは、粗末なものだった。パンだけは、そこそこ旨かったが、料理という感じではなかった。
ビールは240ルーブル、昼間、駅前のレストランで飲んだときの、倍以上の値段だった。私たちは文句を言ったが、とにかく疲れていたし、料理があんまり粗末なので、文句を言いながら、ルーブルを数えている状態で、情けないことこの上なかった。店員もこういうのは慣れているのだろう。

我々「金角湾」コースのガイド役のオーリャさんは女性ながら(というのは失礼なのかも知れないが)実に一生懸命やっていたが、ことここに至って、ほっとしたのか、すっかり気落ちしたような、疲れたような表情で、ぐったりと壁にもたれかかっていた。心は同情したが、頭は、やっぱり、ロシアでは、この種のビジネスはちゃんと成立していないから、昼間見た店員と同じように、客(である私たち団員)に対して、平気でそういう面を見せてしまうのだろうなと、そんな意味のことを、隣席の**さんと話し合った。

もちろん、そんなことを書いている私は、そんなことを言えるほど立派な訳ではない。ただ、この研修のテーマである、「お客さま満足度の向上」ということを、終始、考えつづけたことは確かである。

昼間見た、ロシアの美しい町並みの中を、「ふじ丸」に向けてバスが出発した。朝から夕方までずっと眺めたウラジオストクの街も、今はすっかり暮れている。このとき気づいたのだが…由緒ある(ありそうな)建物が、安物のネオンをつけたりして飾り立てている。あの美しい町に、ピンクや青や赤の光がぐるぐると…台無しである。一体、ロシア人にはセンスがあるのか無いのか、わからなくなった。それも、遠いモスクワより、近くの隣国から多くのモノが流入している現状を反映した、一種の文化的混乱なのかも知れない。あるいは単に、建物まで現代的なものに直す余裕がない商業不振の結果に過ぎないかも知れない。

いずれにしろ、世界で一番、文化的に混乱しつつある日本の私が、住んだこともない異国を一日眺めたくらいで、あれこれ論評するのは、滑稽であることは重々承知しつつも、以上のような感想を抱いた。考えている間も、バスとすれ違うのは、皆、日本車だ。